英語習得に必要なマインドセットとは?わたくしのLong & Winding 英語道(・∀・)――大人になってからの英会話(3)

公開日 2019/07/03 - 最終更新日 2019/10/31
ガイジンに話しかけられたらパニくるレベル。
それが大学時代、塾で英語を教えていた俺の英語力であった( ̄▽ ̄

ガイジンこわい( ̄▽ ̄

そういうレベルから今はとりあえず海外旅で困らず、むしろ英語が通じるなら何とかなるかーくらいに思えるくらいにはなった。

それでも大したことはないが、少なくともここまで来れたんは何でやろうなあ、、といったことを今回はつらつら思い返してみたい。

必要なことを最初に一言で言ってしまうと、

自腹と場数!

に尽きる(笑)

英語なんてめんどくさいものに取り組む根性ってどっからくるのか?という点が参考になればと思う。


■わたくしの(無駄に)長い英語道

英語を学習するにあたって自分には上に書いた根性のようなものがとても重要だった。

だって中学から数えてめっちゃ長い年数お勉強して、お受験でも使ったはずなのに全然しゃべれないのだ。

やる気にならずにやらされてるからそうなるので、その状態でただ時間をかけてても無意味なのは明白だ。

勤め人時代にアメリカに留学させてもらったのだが、そのときどうやって周りとコミュニケーションしていたのかもサッパリ思い出せない。

若かったせいか分からんままに雰囲気で何とかしとったなあ。

まあさすがにそれでだいぶ英語には慣れた。
でも1年いたけど大して話せるようになったわけでもなく、帰国してからはさらに英語力は落ちる一方。

そしてガイジン相手にパニくりはしないが別に分かりもしないというレベルに落ち着く(笑)

いやすごい頑張ればある程度は話せるのだが、脳への負荷が高すぎてイヤんなっちゃうのである。
とりあえず落ち着き払って華麗にスルー( ̄▽ ̄

■そもそも「本当に」話したいと思っているか

自分の英語が伸びたのは、カイシャに多大なお金をかけてもらって行った留学時代、ではまったくない( ̄▽ ̄

留学というラッキーな話に飛びついただけで、別に中身はどうでもよかった。
まあITの勉強はしたかったからそれはありがたかったかな。

そんな感じなので、勉強さしてくれんねやったら国内の大学でいーのにいー、くらいに内心思っていた(←実にもったいない

ではどこで伸びたんだろう?と思うと、それはどう考えても千葉で田んぼの活動をやった後、エコビレッジなどに興味を持ち、東南アジアの高原農地を探していたあの頃だ。

世界のエコビレッジの体験プログラムに参加し、東南アジアの高原地帯を人づてや現地NGOなどに頼りながら見学して回っていた。
フィリピン・バギオの高原

当然、英語での会話が必要となる。自分のやりたいことも伝えねばならない。

もうやるしかない!という思いがあって、中学レベルの英語で必死に話していた。

結局自分ごとでなければ、外国語喋るみたいな面倒くさいこと、ニート気質の俺にはできないのであった。
日本の閉塞が自分にそうさせたとも言える。

こんなとこにいとれん!ここに閉じ込められてたら何か終わる!という肌感覚。

海外の農地探しは、放射能汚染でやっていた田んぼが使えなくなったことから始まっていて、なんとか今いる世界から出て活路を切り開かねばと、かなりの切迫感を持っていた。

でもこれが中途半端な閉塞だったら、何となく我慢して日本語圏で一生を終えたかもしれないわけで、ある意味ラッキーでもあった。

■自腹は英語力向上に効く!(笑)

ちなみに農地を探していた当時は一応博士課程の大学院生だった。
悩みまくって全然研究が進まず結局俺は活動で考えを表現しよう!と思い始めていた。

理論にまとめるのもいつかやってみたいが、それはいろいろ実践した後でもいい。
どうせ自分は肌感覚から吸収したことでないと書けないと気づいてもいた。

収入は各種の奨学金、研究奨励金、RAの給与やらをとにかくかき集め、少しだけITベンチャー向けのコンサル仕事もやりつつやりくりしていた。

それで生活に困りはしないものの、ギリかつ不安定な収入状態で世界中に自腹で行くと、これが文字通り腹にこたえる。

カナダのエコビレッジに行くため買った往復チケットなど、航空券5万だったのに燃油やらで10万近くになり吐いちゃいそうに(・∀・)

LCCのあっち方面便が出るのを心待ちにしている

スコットランドのエコビレッジベトナムのスタディ・ツアーに連続で行ったときはHISで航空券を買ったのだが、その代金20万近く。
エコビレッジのプログラムやスタディ・ツアー代はもちろん別。

払いながら腹の中で歯ぎしり(笑)

これは英語学校もそうだし、訪問先でもそうだけど、とにかく何かを吸収しなきゃ、情報を得なきゃと必死になる。

尻込みしてたら、今日一日分のお金が無駄になってしまう。
来るだけでなんぼ飛んどるのか。
尻込みして何もせず帰ってくるわけにはいかない。

そう思ったら話す頻度も量も増える。場数は勝手に増えてゆく。

時間を無駄にできないので、自分の問いを研ぎ澄ます必要もあり、会話の質も上がる。

■それは自分ごとなのか

結局、英語そのものではなく、それを使ってやることが自分にとって本当に必要なことであるかどうか。
それは本当に自分の痛切な思いから出ているのか。

最後に急にえらいマジメな話になってしまったが、自分を見つめ受け止めることが、特にいいトシした人間が”今さら”勉強する場合などには、根底的なことなのだと思う。

今この時代に生きる日本びと、特に先の長いワカモノなどは、海外というのはとてもとてもとっても、重要なキーワードになる。

その切迫を肌に感じることができたら、それは英語どうこうに限らずクリティカルなことだけど、英語習得に限っても大きな力となってくれると思う。

。。とか言っておいて思いっきり逆のことを言うようだけど、テンションが下がったらまたそれに従うのも必要やと思う。

その時どきの自分の感覚についていく大前提が無いと、英語できるようになっても人生がムダに( ̄▽ ̄

自分は今、何をしたいんだろう?その問いの中に英語学習もある。
そうでなければここで書いた「自分ごと」って何?ってことになる。

誰かに追い立てられて勉強するのではなく、「しあわせになるのにはべつに、だれの許可もいらない」、それが一番大切なことかなあ、と思います。


コメント